目次
午前
授業内容: PC
この授業は利用者の主体性で有用度が大きく変わる。
基本的には PC を使った自習の時間であるため、学習の質に大きな差が生まれるのだ。
そんな授業で僕はというと
復習をしていた。
講義の復習を理由にこの超私事ブログを書いていた。
というか、別クラスの利用者を見て、復習という建前が無くとも趣味ブログをして良いと思っていたのだが、就職目的の我がクラスでは駄目だという判定らしく、仕方なく復習という名目を使っている。
なんなら、復習でないなら駄目だという事は今日知った。
まぁでも言いたいことはわかるので、水分補給の復習記事を進めた。
…スタッフの方には申し訳ないのだが
ふと、ぼーっとする時間がある。否、どうしてもぼーっとしてしまうものなのだ。
こういう何も考えていないような時にこそ、生活していく上で全く役に立たないどうでもいいことを考えてしまう。
復習って、自分の言葉で理解しろっていうよなー
言い換えれば、自分らしい言葉ってことでしょ
自分らしいってのは “自分” が何かわかっていないとわからないよな
じゃあ “自分” の定義って何だ
そもそも自分らしいという言葉自体が抽象的過ぎる。らしいってなんだよ。
ゲームが好き ? 眼鏡を掛けてる ? 面倒臭がり ?
いいや違う。それらは一側面に他ならない。
自分の中で “自分” が溶けていく。
午後
バイトが始まる
それでも暇な時間はやはりある
ぼーーーっと
ハ
いやいやこんな事考えている場合じゃない。今は仕事中だぞ。
そそくさと仕事へ戻る。
本日の仕事内容は利用者対応と SNS への投稿とのことだ。
SNS は始動したばかりということもあり、事業所の紹介がテーマだった。
その人らしく働く
僕は今一度、自分らしさに囚われた。
自分の事は自分が一番わかってる
よくこういう様な言葉を耳にする。
だが、僕はあまりそうは思えなかった。自分ですら “自分” が曖昧だからだ。
自分の事は当人ですらよく知らない。たしかどっかのだれかも似たような事を言っていた気がする。
僕もこの主張に賛同する思いだった。
ーーーーー
何か絵を描いたとしよう。
その絵を見て他人は何を思うだろう ?
「わーすごい」「xxさんって絵が上手いんだね」「よくわかんない絵だね」…
まぁ色々あるんだろう。
じゃあ自分はどう思うのだろう。
時々こういうことは無いだろうか ? 「自分ってこんな絵が描けたんだ」って。
SNS 投稿用の文章を見てふと思う。
自分が “自分” を認識するにはこうするしか無いんじゃないか。と。
僕が “自分” を認識するためには、自我を表現する事でしか成せないのではないかと、そう思う。
で、表現されたモノを “自分らしい” って言うんじゃないかなぁ。
そうなると僕は僕の自分らしさを間近で見続ける唯一の人間ってことになるか。
…そういう意味では、自分が “自分” を一番理解しているっていうのも間違いじゃないのかな。完全に理解はできないんだろうけれど。
3を基準とし、1が最低、5が最高とする。
午前
体調: 3/5
気分: 3/5
午後
体調: 3/5
気分: 4/5
- 午前若干腹痛
- 利用者対応で自己肯定感が上がる
- 徐々に寝る時間が早くなってきていて良い傾向
- 早めの行動ができるように意識を変えていきたい
こういう答えすら曖昧な考え遊びが僕は大好きなんだ。