とある日の相談にて
![質問者](https://hana-tane.com/wp-content/uploads/2021/10/stand1_front05_man-min.png)
ファシリテーターは議論調整のための脇役でしょ?
私に対してこう質問を提示したことを皮切りに話は始まった。
目次
先に用語の説明を軽く挟んでおく。
ディスカッションとは日本語で会議の事である。
で、会議をざっくりと定義しておく。ある目的を持ってゴールを目指す話し合いとでもしておこうか。
ファシリテーターとは何ぞや。正直、私にはよくわかっていない。司会のようなものとだけ聞いている。
この質疑応答ではファシリテーターを司会と同一だと考えて回答している。
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脇役か。考えた事が無かった。どちらかと言えば主役の部類だろうとも思う。
就活とか大学とかでは司会者と発表者は別の役割とされることが多いだろう。
だが、今回は当事業所での話なので、司会者と発表者は同一の役割であるという前提で話を進める。
※当事業所でも司会と発表が分けられる場合は存在する。特に就労プログラム
今回はクラス合同プログラムであったため、明確に役割を分けていないと予想しての回答であるのであしからず。
保険を並べに並べたので、本題に移ろう。
今から書く考え方はあまり良いものでは無いのだろうが、「脇役だから」「貢献したことを社内で評価されるような状況ではないから」やる気を出せない人に向けて敢えて発信することとする。
ファシリテーターは会議を円滑に進めるための役割であると同時に、グループ全体の意見に一番干渉できる立場。
調整役であると同時に会議の支配者とも捉えられるのだ。
ファシリテーターは会議を回し、各参加者の意見を深掘り、共通箇所や会議を通しての発見を各参加者へ共有。そうして発表へ至る。
会議の質に最も影響を及ぼすことのできる存在。それこそがファシリテーターだ。それが脇役であるはずが無い。
会議・意見の質を上げられるのは勿論、自分の意見を一番取り入れやすい立場ですらあるだろう。発表者を兼ねているなら尚更。
![](https://hana-tane.com/wp-content/uploads/2025/02/20250204-ruler-0-min.jpg)
私の場合は、始めに自分の意見を発言して後は他の意見を聴くことに集中する。
会議は流れに合わせて進行する。自分の意見から話が広がるようなら盛り上げ、広がらないようであれば他の人の意見を求める。
そうして、できる限り全員の意見を聴いた後は質問や共感により意見を掘り下げる。
この時に意見の共通点について言及すると良いだろう。
最後に時間が余るようなら、各意見の確認、共通箇所の確認を済ませておくと良い。
認識にズレが無いかの確認は発表時に自分で言葉を変換して短く纏める際に役立つ。
発表時は
- “x個の意見が出ました”
- “hogehogeという意見と、aaaという意見が出ました”
- “また、○○という意見もあり~~”
- “共通する点として–が挙げられます”
- “会議を通して**と思いました”
↑のような文言を頻繁に使う。毎回全部を言っている訳ではないが、ある程度発表者に裁量があると言える。
納得のいかない会議をしないためにも、ファシリテーターという役割を率先して獲得するのも良いと思う。
というか私がそうしていた。
脇役にならないためにファシリテーターをするのだ。
というのが、私の回答である。
質問者は「新しい切り口の話で新鮮だった。自分に対する損得で考える自分には合っている考え方で話が聞けて良かった。」と話した。
物事には複数の側面がある。人はその一側面を強く認識し、”xxはyyである” と脳のリソースを節約している。
その弊害として、苦手意識の芽生えた事柄にはとことん無力であるだろう。
だが、多角的視野で他の側面を捉えることができたなら、世界はきっと違って見える。
この話に限らず。自分の無意識に固執してしまわないよう意識したいものだ。
補足
最後に、定義を見直すべくファシリテーターという単語について10秒程調べてみた。
ファシリテーターとは “会議やグループワークなどの場で、中立的な立場から進行をサポートする人” のことであるらしい。
であれば、私の回答は案の定、あまり良くない捉え方、定義から逸脱する側面であるようだ。
だがしかし、会議自体を支配してしまえるのもまた事実であると考える。
会議全体の質を上げるのも落とすのも自身の能力次第。中立を装い誘導することもでき得る。
するのとできるのとでは大きな違いがあるのだろうが、ここでは言及しないものとした。
いーややっぱり言及するね、できるという事実が支配たらしめると言えるのではないだろうか。
この記事を書いた経緯だが、カクミン著書の書籍が読んでみたいとまで言われたので完全に乗せられたまま書き綴った。
書籍でも無ければ、話した事しか書いていないため当の質問者がこの記事を読んだ場合には読み応えの無い記事となっただろうと少し反省。
書いている最中はその人のためと思っていたが、今読み返してみるとやはり自分のための記事だったな。