高校での悔い

最近昔の事思い出す機会多いな。

増える教訓

高校のクラスLINE が動きを見せた。
同窓会 ? かな。

行かないし、仮に行きたかったとしても行けない。
理由は何個かあって

  • 僕が行って喜ぶ人居ないし
  • 空気読めないし
  • そもそもお金無いし (集合場所県外)

高校生の僕はそこそこ嫌われていた。
対人能力が欠如していて、空気の読める人間じゃなかった。
なんなら、放課後に僕の居ない教室で僕が嫌いと発言していた声を聞いたことがあるので、まぁまず間違いない。

特に目を背けたくなる記憶として、女子にプレゼントを贈る場面は印象深い。悪い意味で
コミュニケーション能力不足女性経験0陰キャ高校生男児なんてものは、女性からしたら、たいていキモいだろうが。
僕の場合はより酷かった。重かったのだ。

誕プレ編

例えば高1 のクラスメート女子への誕プレ

自分への誕プレを貰っていたのでお返しを買おうと思ったのだ。ここまでは良いと思うんだけど
買った物が悪かった…。

ネックレスだ。

安物を買ったとはいえ、重キモである。

今ならわかる。そう、オモキモである。大事な事だから何度でも言おう、オモキモである。そこは消え物にしとけよぉ。
もっと親密な関係ならまだしも、他のクラスメート女子よりもちょっっっっっとだけ会話したことがある程度の相手に渡す品じゃねえよ。

でもこの頃の俺はコミュ能力不足彼女いない歴=年齢陰キャ対人経験無し男。加えて、下心が無かったとも言い切れない。
いやというかあった。ありましたわ下の心が。

こうやって失敗を重ねることで人は成長するんです。今ではちゃんと重いかつ気持ち悪い選択だったと認識できております。

ホワイトデー編

例えばホワイトデー

ホワイトデー、今までは幼少期からの女友達と親族にお返しをしていて、毎回 2~3倍返しのつもりで奮発していた。
が、この頃には、学校が違うこと等が理由でバレンタインに友チョコを貰う機会が無くなっていた。
そのため、親とかにしか返すことが無かったのだが。

だが、ある年のバレンタインにて、私はブラックサンダー等のチョコを貰っていた。勿論義理
そしてその頃、私は料理に目覚めていた。(なお今は)

今の事はひとまず置いておいて

料理に目覚めていた僕は思ってしまったのだ
“どうせならお返しを手作りしてみよう” と

で、作ったのが “スノーボール” とか “ほろほろクッキー” とか呼ばれる丸いクッキーのやつ。

しかし、皆が居る前で手渡しは流石に恥ずかしいと思った僕。どうしたかというと
朝一に登校して各女子の机に置いておく作戦 ! だった。馬鹿なのか。

当然のことながらとても気持ち悪い。しかもそれが手作りとは…気持ち悪過ぎるっ !
そして困惑するクラス内。恥ずかしくてそんな行動をとった僕は当然名乗り出ない。

で、さらに良く無かった事として、バレンタインにチョコを渡していない女子の分も作ってしまっていた。
てっきり、女子全員から男子全員へのバレンタインだと勘違いしていたために発生した問題だ。確認しとけよ~それくらいよぉ過去の俺。

最終的には白状したものの、気持ち悪いだろうからなぁ捨てた人が居てもおかしくないだろう。お礼を言いに来てくれた人も居たが。世渡り上手だろその子。

これを機に、渡した相手が誰かわからないという状況になり得る渡し方は絶対にしないと誓ったね。誰からかわからない贈り物とか現実的に考えたら、そりゃキモいし何より怖いだろう。
当時の僕は “差出人不明のバレンタインチョコでドギマギする” ファンタジーに脳を乗っ取られていたので気付かなかっただけで、怖いっすよねハイ。

まぁこんな過去もあった上で、現職場でのホワイトデーでは少なくとも表面上は喜んでくれていたのでホッとした。
やはり、関係性の問題だろうなぁ。渡し方とか品選びのせいもあるとは思うが、どの程度の関係を贈る人と受け取る人の間で築けているかが一番大事なのだろう。それによってどういう品が良いか、渡し方が良いかという点も多少なり変わってくるだろう。
いや、高校時代の品チョイスと渡し方は確実に悪いだろ。反面教師にうってつけの例だろう。

まぁそんな訳で今回の同窓会 ? は行けないなぁ。

結局、昔があるから今がある

と、ここまで振り返ってきて中高共に碌な記憶が無いな。

でも別に高校時代が悪かった、記憶から消したいとは思っていない。
あの高校でなければ駄目だった。あそこに進学できていなければもっと酷かったと心からそう思う。

中学ではまさしく死に体であった。
中学以来の旧友には、よく「変わってないな」と言われるのだが、私自身はそうは思わない。少なくとも中学から高校にかけては大きく変わった。明るくなったのだと思う、これでも。面白い人が何人も居た。良い経験も悪い経験も努力も怠惰もした。これはかけがえのないものだ。

だからこそ行けないのだ。
きっと皆はもっと色々経験して逞しくなって成功しているだろう。
社会に出ても馴染めず体調を崩して細々やっている私が参加したところで場を濁すことだろう。
何より惨めだ。

いつか並び立てる日にて会いたい。

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