我が家の常識

モラハラね。考えたこと無かった。

バスタオルもうがいも何もかも
家の中では常識だった。

バスタオルを親と共有
うがいするコップが家族共有、これは中学生頃に気持ち悪くなって、手で代用しだした。
夜更かしは何があっても許されず。未成年の時はわかる。けどもう成人してますよ。何故あなたは寝る前のルーティーンの如く私の部屋をノックしてから寝室へ向かうのでしょうね。眠りに落ちそうだったのに起こされたことありますからね。真っ暗な部屋の中に返事もないのに堂々と入ってこないでくださいね本当に。
一人前の大人は正社員として働くことが絶対条件である。

社会を知って色んな考え方を実際に見聞きした。

正社員でなければならない理由は無く、寝る時間はその人その職その状況によって変わり、バスタオルは一人一枚でも良い。

極論継続的に生きていけるのならば、その日暮らしでも良い。その場その場で職を転々として気ままに生きても良いのだ。

まぁとはいえ私にその生き方は難しいだろうから、それ程までに自由には生きないけれど。

モラハラってたぶんレッテル貼り思考からくるものなんだろう。
遺伝なのか、身内にはレッテル貼りする人が多い気もする、私含めて。

一人暮らしへの憧れ

ひとり暮らしのメリットは家庭環境をリセットできることだ。

モラハラもそうだが、姉の、人への配慮の欠ける行動とも別れを告げることができる。
食事中、
足を伸ばしてくるのも
こちらが足を伸ばしたら怒鳴りつけてくるのも
向かい側の椅子に足を乗せて座っているのも
姉が使用したあとの洗面所のタオルが落ちそうになっているのも
リビングで大音量で動画を流し始めるのも
かといって、こちらが煩いと怒りだすのも
我慢する必要が無くなる。

椅子まで来てるのに、向かい側の私の椅子に足伸ばして乗せ続けるの終わりだろ。

私の常識

父はスポーツマンという程ストイックでもないのに、何故か古の体育会系だった。
亭主関白
マウント癖
己に非があっても絶対に認めない

事ある毎に「俺が若い頃は~」
脈絡無く、思い出した時に、機嫌を害して怒る。
恐らく父は精神障害を患っている。

就活をしはじめた辺りから一番聞くようになったのは
「仕事を始めた時から一人暮らしだったぞ」
である。
そもそも、私も県外で働きつつ一人暮らしになる予定だったのだが。引き止められるまでは。
それに事欠いて、一人暮らしマウントをしてくるとは思わないだろう。
この台詞は精神を患ってからもよく耳にする言葉だ。

何故そのようなマウントや非を認めない行為が精神的な健康状態を悪化させると思い至らないのか。

父は常に私の反面教師であった
子供の内も大人になっても子供ができても絶対にこうはならないぞと生きてきた。

しかし、亭主関白については後述する過保護との相乗効果により、時折顔を覗かせてしまう。

姉は気分屋であり、大雑把。
機嫌によって態度も大きく変化する。ここは父とよく似ている。
大雑把な部分も似ていた。ジェネリック父である。

母は過保護である。と思うことがある。
母にもブログの存在を教えてしまったがために見ているのだが、少しでもネガティブな事を書いていたら必ず泣きそうな声と表情で部屋へ押し入り話しだす。

こんなことではいつまで経っても精神疾患・精神障害など、改善されない。
自身の精神疾患を改善していくためには、嫌な自分と制限の多い生活と相容れない人間から離れる必要があった

ここまで他人の短所を上げ連ねて、私には短所が無いのかというとそういう訳でも無い。
普通であれば、価値観がぶつかり合い、口論へと発展することもあるのだろう。

だが、ここには無い常識だ。
幼少期、私が幼稚園児の時に
「車から降りたくない」
という旨の発言を連呼した時、父が凄い形相で私の顔を殴り、
「そこまで言うなら車に居ろ」
と車内に閉じ込めたことは今でも忘れない。
その時の出来事から既に、口論による解決は望めないと諦めている。子供の戯言に本気で怒鳴る大人が果たして存在するのか。

「何かあると泣き出すのは、泣けば解決すると思っているからだ」そうだ。
幼少期、そういうつもりで泣いてはいなかったが、私が泣くといつもこう切り出されるので、そう言われたくなかった私は泣くのを我慢するようになった。そうするとどうだろう。今までなら泣いていたような事が起きても、身体が慣れるのだろうか、涙は出なくなった。
そして感情は表出しにくくなった。

祖父が他界した時、何も感じなかった。
悲しくもない。辛くもない。勿論嬉しいはずもない。ある意味では、達観していた。
だが、小学生の私は悲しむことが普通の子供の反応だと思ったのだ。だから、塞ぎこんで悲しむフリをした。

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