小学生の頃だった
はじめは疑問
『どうして生きるのか』
何故、死が前提として存在するのか / 与えられるのか
感情があり知恵があり命があり
何か理由があると思った / 願った
高校生の頃
長年の疑問に一つの節目をつけた
ふと思い至ったのだ
『生物は皆、はじめから罪を背負っており罪を償う方法を探し求めて生きるのだ』という発想だった
殺人が罪であるならば、あるいは、殺人を罪だとするならば、他種の生物を殺すというのもある種の罪に分類されるべきなのではないか
生物は他者を害さなければ生きる事はできない
生存本能により罪を重ねてしまう
植物であれ生きるためには大地を枯らし、他を断つだろう
生物とは元より罪を背負う不良品であるから罪を償う方法を探し歩く
それを人生 / 生涯 と呼ぶのではないか
そう考えた
そう考えた上で思う
「死にたい」と
責が重くて / 先が見えなくて / 『死』こそが償う手段だと思えて
死んで楽になりたいとはよく言うが、僕の場合は少し違う
死んで無になりたいのだと乞い願う
性悪説というものがある
人は生まれながらにして悪である と私は解釈している
この説は、僕の思想に近しいものがあり受け入れられる
私は希薄な死亡願望を常に一定量持ち続けて生きてきた
諸行無常と言うが、僕の内では唯一それに反していた
楽しい | 幸せ | 疲れた | 苦い
考えるリソースを他に回している時期は良いのだが、その「他」が薄れて生死について考えてしまう事がある
天望は無く願望は無く希望は無く
ここはどこなんだ。