忘れていた。そういえば問題児の記録を読んでいなかった。週末は何やらただならぬ雰囲気を醸し出していたから、特に読んでおかなければならないと思っていたのに何故か頭から抜け落ちていた。
どうして忘れていたのか。
虚言や被害妄想が度々見受けられるような人だから、むしろ大したことでもないと感じていたのか ?
ただならぬ雰囲気という記憶が霞んで忘れてしまう程に、日常に溶け出してしまっているからか ?
だが、思い出したのも事実。ならば読めるうちに読んでおこう。
──どうやら私が異性の若い利用者と関わることが気に食わないらしい。
私への拒絶がありありと浮かぶ。それ程に記録が物語っていた。
私自身、利用者 > 利用者兼アルバイト > 卒業+パート という特例のような経歴を歩んでいる。
そのため、私が利用者の時に利用者同士で仲良くしてくれていた人というのも一定数居るのだ。中には卒業した人も多くいるが、残り続ける利用者もまた居た。
というかね、卒業した人には同性が多くて残った人は異性ばかりになっちゃったんだよね。(早口)
まぁそんなこんなで、私が卒業して間もなく仲が良かった利用者との距離感が微妙にわかっていない頃の言動をも引っ張り出してきたようだ。って言っても、その頃の対応が変だったとは私自身認識していないのだが。
記録を読み終えて。段々と胸が苦しくなった。嫌な重みだ。
その時の私は「どうせそんなところだろうと思っていた」と口走っていた。事実そう思ってはいた。だが時間が経てども嫌悪感は拭えなかった。
また自己への理解が進んだように思う。
私は他人から嫌われる事が大変に嫌いらしい。
嫉妬による妄想から来るとしても、私が相手を苦手としていても、気持ちが滅入っているところを考えると相手が誰であるかは関係が無いらしい。
確かについ最近も似たような事象があったなぁ。
そりゃあそうだ。自分は苦手であっても相手からは好かれていたい。それは誰もが欲するものだろう。
ある友人はこう語った。自分のことを苦手だと思っている人が居たら、さらに自分から話に行くと。
当時は自分にはそんなことはできないと思っていた。だが今はむしろその考えに近い、「ヤケクソだ話に行ってやろう」。
いや待て冷静になろう、それはそれでリスクだ。私は大変ビビりなのだ。少しでも怒号を上げられて委縮した姿を晒してしまえば、さらに向こうの勢いが上がってしまうのでは…。つけあがる隙を与える訳にはいかない。
…それは別に良いのか ? 福祉的にというか大人の対応というか。
なんだかもやもやするムカムカする心臓が張り裂ける勢いで脈打つ
これはもしや相思相愛と呼べるのではないか ?
伝聞に曰く、あっちはあっちで私への嫉妬の念を積み上げて寝付けない夜を過ごしたりイライラしたりしていたことがあったそう。
私も今、この胸の高鳴りをせっせと文字へと書き起こしている。
それ程までに思い合っているこれを相思相愛と言わずして何と言うのか。
文字を書き起こしていると少しずつ気持ちが楽になってきたぞ。
張り裂けそうな胸の痛みは気付いた時にはかなり抑制されていた。
私に文章という武器が備わっていて本当に良かったと心から思う。
これこそは自分を引き出して発散できる良いストレス解消法なのだろう。
だいぶ落ち着いたので今はここまでとしておく。おやすみなさい。