信頼口座に借金は無い

人間関係に疲れている

と物思いに耽る。

まぁ、疲れている暇があるなら、より積極的により豊かにしろ。とも思うのだが。
その方が将来的にも身のためだろう。

今は苦手な人、気まずくなってしまう人、色んな人との距離を空けている。

信頼口座について考えが及ぶ

先日、いつもの施設の授業で “ミッション・ステートメント” について少し学んだ。

その中の一部分で、信頼口座という言葉が出てきた。(何かの本の造語の可能性あり)

この信頼口座をざっくり説明すると、人間間での信頼を銀行口座に例えたものなのだとか。
相手に礼儀ある言動をすることで信頼を預け入れ、相手に失礼をしてしまった時に信頼が引き出されるという考え方である。
相手に預けていた信頼が全て引き出され、信頼を失ってしまった時にその人との関係が終わるというものだ。

信頼の預け入れ、引き出し。
僕がこれを聞いた時
「預け入れには上限があり、関係性や相手の許容度によって変わるのでは ?」と考えた。
一定値まで預け入れたら、上がり方が緩やかになったりビタ止め (天井にぶち当たる) になったりする考えたのだ。
ポ○モンのレベルみたいなイメージ。

避ける事への危機感

このままのスタンスではいけない。
人間関係に飽いて避け続けた先はきっと独りだ。と今日までの自分を振り返り、これを書きながら思考を巡らせる。

僕はこれまで信頼を預けた量の方が多いと思っている。少なくとも現環境の人間関係上にいる人達には。
それでも限度というものがある。このまま対面拒否し続ければやはり底が見える。

人間関係での考え方を変えてみよう。

といっても、そう簡単に変わるかよ。

…”嫌われる勇気” ってあるだろ
あれから着想を得て閃いたこと。好かれる勇気である。

嫌われる勇気とは本来、人間関係の悩みを抱えている人が、その解決に動こうとした時「今までの人間関係が壊れて、嫌われたらどうしようマン(脳内)」に阻害されて身動きがとれない人に向けての理論だ。
要は色んな人から好かれている人向けのものだ。

僕の場合は、あんまり好かれてない。
きっと人間と疎遠になってきていて、口座に信頼が残っていない。引き出され続けていたはず。

だからこそ逆に考える。嫌われる勇気ではなく、好かれる勇気。とかどうだろう ?

まとまらない考え

好かれることにも勇気は必要だ。好かれること、これ自体にリスクがある。
都合の良い存在だと思われる可能性。厄介事が舞い込みやすくなるということだ。

ここ最近強く思うことは、本当に色んな人が在ることだ。
率直に書いてしまうと、ここでは対人能力に課題を抱える人が大半である。
それは特性のせいであったり、育った環境のせいであったり、単にコミュニケーションから逃避してきたりと理由は様々だ。しかし、対人能力が稚拙である結果は共通していた。

そういう人達と良好な人間関係を築き、続けていくのは困難を極める。
本当に福祉に携わる人、超人だろ。悟り開いてる。絶対。皆教祖やってますはい。

好かれやすい人 ≒ 嫌われたくない人 = (もっと尖って言うなら) 八方美人
と考えるのはさすがにひねくれ過ぎか ?
でも今の僕を表わすには適切な式だと思う。自分で言うのもなんだが周りからは好かれていた。
しかしそれは嫌われたくなかったための行動結果だ。

今は色々どうでも良くなって全てから遠くにいる。

とにかく

人間関係に臆さず、信頼を取り戻すことを心掛けよう (自戒)
信頼を預けたうえで嫌われる覚悟を持って対話しよう、要求をしよう。
それで崩れる関係ならそれまでだと捉えよう。

まとまらないなりに少しずつ取り戻しに歩こう。

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